解説&ストーリー
ステート・フェアとは、年に1回、その土地の地場産業の振興をはかる共進会、ならびに住民の親善親睦を目的に行なわれるお祭りのようなもので、人集めのための数々の娯楽が提供される。アメリカは、18〜19世紀を中心に急速に発展した国であり、国民の多くは移民とその子孫であったのでアメリカ人としてのアイデンティティを認識するチャンスが必要ということもあった。アイオワ州を舞台にした映画『ステート・フェア』も、州および国家の讃歌を忘れてはなく郷土愛にあふれたストーリーが展開される。
映画『ステート・フェア』は3本製作され、最初の作品は1933年にフィル・ストロングの原作をもとに、ヘンリー・キングが映画化し、地方色とユーモアのセンスにあふれた作品として評判が高く、これをミュージカル映画としたものが本作品で、1962年にホセ・ファーラーが再映画化したものがある。時は現代、場所はアイオワ、主人公は農業を営むフレイク家の家族ということは、3作の共通点だが、しかし、作品ごとに中心人物は少し変わり、第1作ではブタの品評会に夢中になる父親エイベル、第2作は恋に目覚めた長女のマージィ、第3作では歌が自慢の長男ウェインとなっている。プレイク家は父親エイベル、母親メリツサ、長男ウェイン、長女マージィの4人で、ウェインはエミリーに、マージィはパットに恋をする、というのも大体が同じ筋立て、キャストの変遷を見てみると下記のようになっている。
エイベル……@ウイル・ロジャース
A【チャールズ・ウイニンガー】
Bトム・イーウエル
メリツサ……@ルイーズ・ドレッサー
A【フェイ・ペインター】
Bアリス・フエイ
ウェイン……@ノーマン・フォスター
A【ディック・ヘイムズ】
Bパット・ブーン
マージイー…@ジャネット・ゲイナー
A【ジーン・クレイン】
Bパメラ・ティフィン
バット……‥@リュウ・エイヤーズ
A【ダナ・アンドリュース】
Bボビー・ダーリン(役名ジェリー)
エミリー……@サリー・エイラーズ
A【ヴィヴィアン・ブレイン】
Bアン・マーグレット
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この作品は、アメリカン・テイストやスピリットに溢れたミュージカル化で、オスカー・ハマースタインU&リチャード・ロジャースが初めて映画のために歌を書きおろした記念作品であり、また、20世紀フォックスが売り出し中のスター、ジーン・クレイン、それに実力、人気ともにフランク・シナトラと双璧の歌手ディック・ヘイムズが共演している。
3作ともこの映画は20世紀フォックスが製作したが、ダリル・F・ザナックは、ブロードウェイの舞台で『オクラホマ!』を大ヒットさせたロジャース&ハマースタインに歌作りを直接に依頼した。そして主演にジーンが起用されたのは、本作品製作の前年『勝利の園』('44)で彼女の力量が認められたためで、その後にも『哀愁の湖』('45)、『三人の妻への手紙』('49)、『ピンキー』('49)、『紳士はブルーネット娘と結婚する』('55)などに出演した。しかも『ステート・フェア』は、美人コンテストに優勝したこともある彼女が19歳の時の作品で、その美しさは輝いており、また、原作がシンプルで、6つのミュージカル・ナンバーが、巧みにリピートされ、たえず美しいメロディが流れる素晴らしい効果をあげている。
さらに、明るく、ユーモアのセンスにあふれているという点で『ステート・フェア』は、ウォルター・ランク監督の持ち味が生かされた作品といえる。人工美を極めた感のあるMGMミュージカルに対し、20世紀フォックスのは、ごく自然な感じのするミュージカル映画で、この映画の成功によって、ランクは後にロジャース&ハマースタインUの『王様と私』、アーヴィンク・バーリンの『ショウほど素敵な商売はない』を撮り、フランク・シナトラが主演したコール・ポーターのミュージカル『カンカン』も撮っている。
舞台となったアイオワ州の北はミネソタ州、その北の先はカナタで西側はサウス・タコタ、ネブラスカ州に接し、南はミズーリ州で、ニューオーリンズから北上してきた大河、ミシシッピ川によって、東側のイリノイ州と区切られ州都はデモインで、1846年12月28日に29番目の州となった。そのニックネームはホークアイ(タカの目)・ステート、州が掲げるモットーは"Our Liberties We Prize, and Our Rights We Will Maintain" 「自由を尊び、その権利を守る」というもので、ワイルド・ローズ、ごしきヒワ(イースタン・コールドフィンチ)、樫(オーク)等が州のシンボルとなっており、州歌は「ザ・ソング・オブ・アイオワ」である。
先祖であるインディアンはオマハ、ポウニー、アイオウ族が住んでいたが、19世紀からはドイツ、北欧、イギリス、オランダから多くの移民が住みついた。広さは約14万キロ平米で、北海道の2倍、その8割以上が耕地という農業の州、牛と豚(大きいフォッグと呼ばれる)「映画に出てくるブルー・ボーイ」の最大の産地となっている。
執筆活動は東部のニューヨーク、コネチカット、それにフィラデルフィアであったが、撮影は全部がカリフォルニアで行なわれた。この映画で最大のヒットは主題歌の"It Might As Well Be Spring"で、見事にアカデミー賞最優秀主題歌賞を受賞したが、ロジャース&ハマースタインの歌作りの美しさと、歌うジーンの魅力が相乗効果を発揮し、しかもこの歌は、最初はメランコリーな気分の彼女の心を反映し、やがてパットと知り合い素晴らしいラヴ・ソングへと大変身していく。
リチャード・ロジャース(1902〜79)は、1920年代に入るとブロードウェイの舞台を中心に、作曲家として活躍している。当初はロレンツ・ハート(作詞家1895〜1943)とのコンビで売り出し、映画は短編ながら1929年の『メロディの創り手たち』(Makers of Melody)で、彼らのヒット「マンハッタン」を紹介したのが最初の出会いとなった。それ以来、彼らと映画とのつき合いは数多いが、ほとんどの作品にロジャースは満足していなかった。1943年に初めてオスカー・ハマースタインU(作詞家1895〜1960)とコンビを組み、『オクラホマ!』で絶賛を博していた頃に、『ステート・フェア』のミュージカル版の映画の話が持ち込まれた。
ザナックの熱意に押されてOKしたものの、ロジャース&ハマースタインが映画のために書きおろしたのは、これが最初にして最後のことである。結果的には、アメリカを代表するミュージカルの作家コンビ、ロジャース&ハマースタインUにとっては唯一の、しかし大変に出来のいい書きおろしのミュージカル映画となった。
これは彼らのヒット作『オクラホマ!』から『回転木馬』、『王様と私』、『南太平洋』、『サウンド・オブ・ミュージック』などを豪華キャストで映画化したのとは、根本的に相違し、あくまでも映画のためのミュジーカルである。映画ではライブと違って歌手は他人の場合も多く、この映画では、ジーン・クレインの歌は、ルーアン・ホーガン(Louanne Hogan)が受け持ったが、1946年の『100年目の夏』(Centennial Summur)(1946)(ソフト未発売)でも、ジーン・クレインの歌を、それに『恋の十日間』(I'll Be Seeing You)(1944)(US Version)のパーティでタイトル・ソングもを吹き替えている。
吹き替えで有名なのは、マーニ・ニクソンが知られるが『王様と私』のデボラ・カー、『マイ・フェアー・レディ』のオードリー・ヘップバーン、『ジプシー』のナタリー・ウッドなどを彼女が吹き替えている。また、リタ・ヘイワースが『ギルダ』で歌った「プット・ザ・プレイム・エリス」はアニタ・エリスが、『脱出』のホーギー・カーマイケルのピアノで歌うローレン・バコールの歌声は、10代のアンディ・ウィリアムスが吹き替えたというから驚く。1954年度アカデミー賞は、歌曲賞「春の如く」(It Might as Well Be Spring)が受賞した。
(Twentieth Century Fox 1945 Film Color 101 min. Aspect Ratio:1.37 : 1)
ストーリーは、フレイク家の主人、エイブル・フレイク(チャールズ・ウィニンジャー)の友人であるデーヴ・フイラー(パーシー・キルブライド)が小型トラックに乗って歌いながらフレイクを訪ねて来た。フレイク家では、エイベルが、歌を口ずさみ、ステート・フェアの品評会に出品する大きなブタの「ブルー・ボーイ」の手入れに余念がない。デーヴはエイベルをからかって、一等は取れない、たとえ獲れても不幸なことが一家に起こるに相違ないとケチをつけ、賭けをすることになった。
妻のメリツサ(フェイ・ベインター)も同じく出品するミンスミートを作りながら歌っているが、娘のマージィ(ジーン・クレイン)は、以前は好きだったのに、なんだか嫌になってしまった、と、今まで手にしなかったものが、何だか無性に欲しくなった、こうして楽しげに振る舞っていても、気分が落ち込んで、憂鬱な気分ながら何かステキな事に出会いたいと思いにふけているのである。
風に揺れる柳のように心が揺れる操り人形みたいに頼りない春の"スプリング・フィーバーというものか、でも今は、心を悩ます春ではないと「春ではない」「春ではない」と否定しながら、「でも春のように」と心をときめかし、どこか他の土地に行ってみたい、見知らぬ街を歩いてみたい、今までに耳にしたことのない言葉を、知らない人が話す言葉を聞きたいの、夢を織る蜘味のように私は忙しい、ブランコに乗った子供のようにはしゃぎまくる、春を告げるクロッカスもバラのつばみも見ていないし、飛び回るコマドリも見ないけど、メランコリーな気持ちは妙に明るいの、まったく春になったみたいだとマージィが歌う。
やがて、共進会場へ家族揃って出掛け、そこでマージイーは新聞記者のパット・ギルバード(ダナ・アンドリュース)に出会うが、彼は都会ずれがしている皮肉屋だがマージィは好意をよせ、彼もまた純情な彼女に惹き付けられる。歌が得意の息子のウェイン(ディック・ヘイムス)も歌手のエミリー・エドワーズ(ヴィヴィアン・ブレイン)と知り合いになり。
共進会ではブルー・ボーイは見事に一等の栄冠を獲得、メリッサの出品したミンスミートも優等賞に輝いた。だが、パットが急に姿をくらましてしまい、エミリーは結婚しているということを知り、マージィもウェインも失望してしまう。どうやら賭はデーヴの勝ちになりそうであったが、その時にパットから電話があり、彼はシカゴの新聞社に採用されるために電報で呼ばれたためであった。彼は、マージィの住む町にやって来て、彼女にプロポーズし、ウェインは純真なエリナー(ジェーン・ナイ)を連れてフレイク家へ帰ってハッピー・エンドとなる。
ジーン・クレイン(Jeanne Crain)
ジーン・クレインは、1925年5月25日、カリフォルニア州バーストウで学校教師のジョージ・A・クレインとロレッタ・カーの間に生まれ、幼少の頃、ロサンゼルスに移り住み、アイス・スケーターで一躍注目を集め、ロサンゼルスのパン・パシフィック・オーディトリアム(Miss Pan Pacific at the Pan-Pacific Auditorium)のミスに選ばれた。ハイ・スク−ルでは、オーソン・ウェルズのスクリーン・テストを受け、1943年、18歳の時にコーラス・ガールの端役でギャング映画(The Gang's All Here)に出演し、1944年に『
勝利の園』(Home in Indiana)や『In the Meantime, Darling』に出演して全国的に注目され、『Winged Victory』(1944)では大喝采を浴びた。
1945年にダナ・アンドリュースと共演した『ステート・フェア』(State Fair)では、歌を披露しているが、これは、ルーアン・ホーガン(Louanne Hogan)が吹き替えし、1946年の『100年目の夏』(Centennial Summur)(1946)や『恋の十日間』(I'll Be Seeing You)(1944)でのパーティでタイトル・ソングも吹き替えしている。 更に、彼女は『哀愁の湖』(Leave Her to Heaven)(1945)でジーン・ティアニーと共演し、翌年の『Margie』(1946)では、彼女のスケートの能力が映画の中で発揮されている。1949年に『三人の妻への手紙』(A Letter to Three Wives)、『The Fan』と『ピンキー』(Pinky)の3作品に出演し、『ピンキー』は、生まれつき肌が白い黒人女性で、看護学校を卒業して、祖母の住む南部の故郷に帰ってくるというストーリーで、当初、リナ・ホーンとか黒人の女優が考えられていたが、製作者のダリル・F・ザナック は、興行上の理由から白人女優のジーンを起用した。『ピンキー』では、第22回アカデミー賞で、ジーン・クレインが主演女優賞に、エセル・バリモア、エセル・ウォーターズは、助演女優賞にノミネートされたが、いずれも受賞には至らなかった。
1950年では『一ダースなら安くなる』(Cheaper by the Dozen)で、マーナ・ロイ、クリフトン・ウェッブと共演し、翌年、ジョセフ・L・マンキウィッツ監督のロマンティック・コメディ『うわさの名医』(People Will Talk)にケーリー・グラントと共演し、女性主権のキャンペーンでは、当初、アン・バクスターが配役されたが、妊娠のためにジーンに役割が与えられた。1951年には、チャールズ・ブラケット脚本の『The Model and the Marriage Broker』に出演し、『一ダースなら安くなる』(Cheaper by the Dozen)(1950)の続編『Belles on Their Toes』(1952)に出演した。翌年、20世紀のフォックスの『人生模様』 (O. Henry's Full House)(1952)で、Della (segment "The Gift of the Magi")を演じ、1953年では、『Dangerous Crossing』 で、マイケル・レニーと共演し正気を失っている若い妻を演じた。それから、1955年にユニヴァーサル映画の西部劇『星のない男』(Man Without a Star)(1955)で、カーク・ダグラスと共演し、同年、パリで撮影された『紳士はブルーネット娘と結婚する』(Gentlemen Marry Brunettes)(1955)では、ジェーン・ラッセル、アラン・ヤング、スコット・ブラディやアラン・ヤングなどと共演、アメリカの劇界で「ジョーンズ姉妹」として人気のあるボニー役のジェーン・ラッセルとコニー役の姉妹を演じた。
1950年の中頃には、ジーンやジェーン・ラッセルなどはラスヴェガスなどに出演し、1956年、ラッセル・ラウス監督の西部劇傑作『必殺の一弾』(The Fastest Gun Alive)では、理由があって二度と拳銃を握らないと誓うテンプル(グレン・フォード)が、無頼漢との決闘を挑まれ狼狽しながら立ち向かうというストーリーで、ブローデリック・クロウフォード、ラス・タンブリンなどと共演しテンプルの妻役を演じた。1957年に、ナイトクラブの人気スターだった波瀾の半生ジョー・E・ルイスを描いた伝記映画の『抱擁』(The Joker Is Wild/All the Way)で、フランク・シナトラ、ミッチ・ゲイナーなどと共演し、社交界の名門の娘"Letty Page"を演じ、1959年には、CBS
でTV版『Meet Me in St. Louis』に出演し、ウオルター・ピジョン、ジェーン・パウエル、タブ・ハンターなどが共演した。1960年代になると映画の出演機会は少なくなり、テレビ出演が多くなった。最後の映画は『ハイジャック』 (Skyjacked/Sky Terror)(1972)並びに『The Night God Screamed』 (The Night God Screamed)(1974)である。
ジーンは、スターダムに登りつめ、1940年代後半から1950年代初期にハリウッドのナバーワンのパーティ・ガールの愛称で親しまれ、少なくとも年間200回のパーティに招待されたという。1946年12月31日、母の希望に逆らって、RKOの俳優ポール・ブリンクマン(ポール・ブルックス)と結婚し、7人の子供に恵まれたが、一番目は翌年の4月に誕生した。1950年代には、週当たり約3500ドルを稼ぎ、カリフォルニアのビバリーヒルズに家族にために大きな家を購入し、邸宅は見る事が出来て、映画スターの家としてベティ・デイビスに紹介された。彼女は信心深いローマ・カトリック教徒として、2003年10月に夫の死までサンタバーバラに住んでいたが、2003年12月14日、心臓発作で78歳の生涯を閉じた。
ジーン・クレイン出演作品
Filmography:Jeanne Crain
『-』(The Gang's All Here)(1943)Chorus Girl/Pool Party Guest (uncredited)
『勝利の園』(Home in Indiana)(1944)'Char' Bruce
『-』(In the Meantime, Darling)(1944)Margaret 'Maggie' Preston
『-』(Winged Victory)(1944) Helen
『ステート・フェア』(State Fair)(1945) Margy Frake
『哀愁の湖』(Leave Her to Heaven)(1945)Ruth Berent
『100年目の夏』(Centennial Summer)(1946) Julia Rogers
『-』(Margie)(1946)Marjorie 'Margie' MacDuff
『-』(You Were Meant for Me)(1948)Peggy Mayhew
『-』(Apartment for Peggy)(1948)Peggy Taylor
『三人の妻への手紙』(A Letter to Three Wives)(1949)Deborah Bishop
『-』(The Fan)(1949)Lady Margaret 'Meg' Windermere
『ピンキー』(Pinky)(1949)Patricia 'Pinky' Johnson
『-』(I'll Get By)(1950) Herself (uncredited)
『一ダースなら安くなる』(Cheaper by the Dozen)(1950) Ann Gilbreth
『-』(Take Care of My Little Girl)(1951) Liz Erickson
『うわさの名医』(People Will Talk)(1951) Deborah Higgins
『』(The Model and the Marriage Broker)(1951)Kitty Bennett
『』(Belles on Their Toes)(1952) Ann Gilbreth
『人生模様』(O. Henry's Full House)(1952)Della (segment "The Gift of the Magi")
『-』(Dangerous Crossing)(1953 )
『ファイトマネー』 (City of Bad Men)(1953 )Ruth Stanton Bowman
『-』(Vicki)(1953 ) Jill Lynn
『-』(City of Bad Men)(1953 )Linda Culligan
『ジャングルの決闘』(Duel in the Jungle)(1954)Marian Taylor
『星のない男』(Man Without a Star)(1955)Reed Bowman
『紳士はブルーネット娘と結婚する』 (Gentlemen Marry Brunettes)(1955) Connie Jones/Mitzi Jones
『-』(The Second Greatest Sex)(1955)Liza McClure
『必殺の一弾』(The Fastest Gun Alive)(1956)Dora Temple
『-』 (The Tattered Dress)(1957)Diane Blane
『抱擁』(The Joker Is Wild/All the Way)(1957)Letty Page
『大爆破』(Guns of the Timberland)(1960)Laura Riley
『-』(Twenty Plus Two)(1961) Linda Foster
『-』(Nefertite Regina del Nilo)(1962)Nefertiti
『-』(Madison Avenue)(1962) Peggy Shannon
『-』(Pontius Pilate/Ponzia Pilato)(1962)Claudia Procula
『-』(Col Ferro e col Fuoco)(1963) Helen
『暴走52マイル』(Hot Rods to Hell/52 Miles to Midnight)(1967) Peg Phillips
『ハイジャック』(Skyjacked/Sky Terror)(1972)
『-』(The Night God Screamed)(1974) Fanny Pierce
"Jeanne Crain" Website
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ダナ・アンドリュース (Dana Andrews)
ダナ・アンドリュース(Dana Andrews、本名:Carver Dana Andrews)は、1909年1月1日、ミシシッピ州コリンズでバプテスト聖職者のチャールズ・フォレスト・アンドリュースと妻アニスの間に9人の子供の3番目に生まれ、家族は、その後、テキサスのハンツビルに引越した。アンドリュースは、サム・ヒューストン州立大学で経営管理を勉強し、ガルフ・アンド・ウエスタン(Gulf & Western)で、会計士として働いたが、1931年に、歌手になるためカリフォルニア州ロサンゼルスに移り住み、バン・ナイズ(Van Nuys)のガソリン・スタンドで働いたり、生活のために様々な仕事に就いた。彼の雇用者の1人は、彼の可能性を信じ、オペラやパサディナ・プレイハウス(Pasadena Playhouse)で学ぶ資金を援助し、彼は演技を学び舞台に出演するようになった。
1940年、アンドリュースは、サミュエル・ゴールドウィンとの契約にサインし、ロサンゼルスに到着した9年後、ウィリアム・ワイラー監督、ゲーリー・クーパー主演の『西部の男』(The Westerner)(1940)でデビューを飾った。その翌年の1941年、『タバコ・ロード』(Tobacco Road)や『スワンプ・ウォーター』(Swamp Water)などに出演し、言語学者を演じるゲーリー・クーパーとストリップ・ダンサーを演じたバーバラ・スタンウィックが共演した『教授と美女』(Ball of Fire)では、ギャングを印象的に演じた。その後、1943年、ヘンリーフォンダと共演した『牛泥棒』(The Ox-Bow Incident)では、リンチされる役を演じ、翌年、ジーン・ティアニーと『ローラ殺人事件』(Laura)(1944)で共演し、アカデミー作品賞をはじめ、8部門で受賞した『我等の生涯の最良の年』(The Best Years of Our Lives)(1946)では、戦争から帰宅する飛行大尉を演じた。1950年に、再度、ジーン・ティアニーと共演した『Where the Sidewalk Ends』では、悪徳警官を演じ、1950年代の中頃にはB級映画の出演が多かったが、記憶すべき作品も少なくなかった。
1956年、フリッツ・ラング(Fritz Lang)監督の2作品である『口紅殺人事件』(While the City Sleeps)や『条理ある疑いの彼方に』(Beyond a Reasonable Doubt)、翌年、『Night of the Demon』(1957)、1958年には、『恐怖を売る男達』(The Fearmakers)では高い評価がなされた。 1963年に、映画俳優組合(Screen Actors Guild)の会長に選ばれた。1969年から1970年にかけて、NBCで"Bright Promise"のメロドラマをトム・ボズウェル大学の学長として主要な役を務めた。
1960年、空に賭ける男を描いたアクション・ドラマの『翼の男』(The Crowded Sky)では、戦闘機パイロットを演じたエフレム・ジンバリスト・Jr.と共演し、旅客機の操縦士ディック・バーネット機長を演じた。14年後に『エアポート'75 』(Airport 1975)(1974)で、アンドリュースとジンバリストは再度共演し、アンドリュースは、心臓発作を起こしジンバリストの操縦する747(Boeing 747)に激突する実業家のセスナ・パイロットを演じた。アンドリュースは、1932年の大晦日にジャネット・マレー(Janet Murray)と結婚したが、彼女は1935年、息子のデイビッド(David)誕生間もなく亡くなった。彼は、1939年11月17日、メアリー・トッド(Mary Todd)女優と再婚し、キャサリン(Katharine)(1942年生)、スティーブン(Stephen)(1944年生)、そしてスーザン(Susan)(1948年生)の3人の子供に恵まれ、トルカ・レイクにあるジョナサン・ウィンターズの家でアンドリュースの家族は20年間住んでいたが、子供が成長した後、1946年、『インディアン渓谷』(Canyon Passage)や1957年に『Night of the Demon』 (1957)を監督したジャック・ターナーから購入したスタジオ・シテイで妻と住んでいた。
1972年に、彼は、アルコホリック(alcoholic)をコントロールし、テレビ広告を出している。1981年、映画スターであったロナルド・レーガンが第40代大統領になった時、彼は雑誌のインタビュアーに、アルコールへのレーガンの訓練された態度が彼の成功への大きな要素であったと言っていた。彼は、後年アルツハイマー病に苦しみ、1992年に、うっ血性の心不全と肺炎で83歳で生涯を閉じた。
ダナ・アンドリュース出演作品
Filmography:Dana Andrews
『西部の男』(The Westerner)(1940)film debut"Hod Johnson"
『-』(Lucky Cisco Kid)(1940)Sergeant Dunn
『-』(Sailor's Lady)(1940)Scrappy Wilson
『-』(Kit Carson)(1940)Captain John C. Fremont
『タバコ・ロード』(Tobacco Road)(1941)Capt. Tim Harmon
『ベル・スター』(Belle Starr)(1941)Maj. Thomas Crail
『スワンプ・ウォーター』(Swamp Water)1941)Ben
『教授と美女』(Ball of Fire)(1941)Joe Lilac
『-』(Berlin Correspondent)(1942)Bill Roberts
『真珠湾攻撃』(December 7th)1943)Ghost of US sailor killed at Pearl Harbor
『潜航決戦隊』(Crash Dive)(1943)Lt. Cmdr. Dewey Connors
『牛泥棒』(The Ox-Bow Incident)(1943)Donald Martin
『北極星』(The North Star)(1943)Kolya Simonov
『ダニー・ケイの新兵さん』(Up in Arms)(1943)Joe Nelson
『-』(The Purple Heart)(1944)Capt. Harvey Ross
『ミッドウェイ囮作戦 』(Wing and a Prayer)(1944)Lt. Cmdr. Edward Moulton
『ローラ殺人事件』(Laura)(1944) Det. Lt. Mark McPherson
『ステート・フェア』(State Fair)(1945)Pat Gilbert
『』(Fallen Angel)(1945)Eric Stanton
『激戦地』(A Walk in the Sun)(1945)Sgt. Bill Tyne
『インディアン渓谷』(Canyon Passage)(1946)Logan Stuart
『我等の生涯の最良の年』(The Best Years of Our Lives)(1946)Fred Derry
『影なき殺人』(Boomerang!)(1947)State's Atty. Henry L. Harvey
『』(Night Song)(1947)Dan Evans
『哀しみの恋』(Daisy Kenyon)(1947)Dan O'Mara
『鉄のカーテン』(The Iron Curtain)(1948)Igor Gouzenko
『海の呼ぶ声』(Deep Waters)(1948)Hod Stillwell
『-』(No Minor Vices)(1948)Perry Ashwell
『-』(Britannia Mews)(1949)Henry Lambert/Gilbert Lauderdale
『-』(Sword in the Desert)(1949)Mike Dillon
『愚かなり我が心』(My Foolish Heart)(1949)Walt Dreiser
『-』(Where the Sidewalk Ends)(1950)Det. Mark Dixon
『恐怖の一夜』(Edge of Doom)(1950)Father Thomas Roth
『-』(Sealed Cargo)(1951)Pat Bannon
『フロッグメン』(The Frogmen)(1951)Jake Flannigan
『我が心の呼ぶ声』(I Want You)(1951)Martin Greer
『』(Assignment: Paris)(1952)Jimmy Race
『巨象の道』(Elephant Walk)(1954)Dick Carver
『ジャングルの決闘』(Duel in the Jungle)(1954)Scott Walters
『西部は俺に任かせろ』(Three Hours to Kill)(1954)Jim Guthrie
『-』(Smoke Signal)(1955)Brett Halliday
『荒野の貴婦人』(Strange Lady in Town)(1955)Dr. Rourke O'Brien
『コマンチ族』(Comanche)(1956)Jim Read
『口紅殺人事件』(While the City Sleeps)(1956)Edward Mobley
『条理ある疑いの彼方に』(Beyond a Reasonable Doubt)(1956)Tom Garrett
『-』(Spring Reunion)(1957)Fred Davis
『-』(Zero Hour!)(1957)Lt. Ted Stryker
『-』(Night of the Demon)(1957)Dr. John Holden
『恐怖を売る男達』(The Fearmakers)(1958)Alan Eaton
『-』(Enchanted Island)(1958)Abner 'Ab' Bedford
『翼の男』(The Crowded Sky)(1960)Dick Barnett
『-』(Madison Avenue)(1962)Clint Lorimer
『サタンバグ』(The Satan Bug)(1965)Gen. Williams
『危険な道』(In Harm's Way)(1965)Adm. Broderick
『地球は壊滅する』(Crack in the World)(1965)Dr. Stephen Sorenson
『-』(Brainstorm)(1965)Cort Benson
『勇者の街』(Town Tamer)(1965)Tom Rosser
『-』(Berlino - Appuntamento per le spie)(1965)Col. Lancaster
『ラブド・ワン』(The Loved One)(1965)Gen. Buck Brinkman
『バルジ大作戦』(Battle of the Bulge)(1965)Col. Pritchard
『-』(Johnny Reno)(1966)Johnny Reno
『-』(The Frozen Dead)(1966)Dr. Norberg
『暴走52マイル』(Hot Rods to Hell)(1967)Tom Phillips
『-』(Il cobra)(1967)Capt. Kelly
『-』(I diamanti che nessuno voleva rubare)(1967)Il gioielliere
『70億の強奪作戦』(Supercolpo da 7 miliardi)(1967)Mr. Kimmins
『コマンド戦略』(The Devil's Brigade)(1968)Brig. Gen. Walter Naylor
『国際殺人局K ナンバーのない男』(Innocent Bystanders)(1972)Blake
『エアポート'75 』(Airport 1975)(1974)Scott Freeman
『ワイルドトレイル』(Take a Hard Ride)(1975)Morgan
『ラスト・タイクーン』(The Last Tycoon)(1976)Red Ridingwood
『-』(Born Again)(1978)Tom Phillips
『-』(The Pilot)(1980)Randolph Evers
『-』(Prince Jack)(1985)The Cardinal
"Dana Andrews" Web site
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Songs
「アワー・ステート・フェアー」(Our State Fair) Sung by Fay Bainter, Percy Kilbride and Charles Winninger
「春の如く」(It Might as Well Be Spring) Sung by Jeanne Crain (dubbed by Louanne Hogan)
「イッツ・ア・グランド・ナイト・フォー・シンギング」(It's a Grand Night for Singing) Sung by William Marshall, Dick Haymes, Vivian Blaine, Jeanne Crain (dubbed by Louanne Hogan), Dana Andrews (dubbed by Ben Gage) and chorus
「ザッツ・フォー・ミー」(That's for Me) Sung by Vivian Blaine Reprised by Jeanne Crain (dubbed by Louanne Hogan) and Dick Haymes
「イズント・イット・カインダ・ファン?」(Isn't It Kinda Fun?) Sung by Dick Haymes and Vivian Blaine
「オール・アイ・オウ・アイオウェイ」(All I Owe Ioway) Sung by William Marshall, Vivian Blaine, Fay Bainter, Charles Winninger and chorus
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キャスト(役名)
ジーン・クレイン(Jeanne Crain/Margy Frake)
ダナ・アンドリュース(Dana Andrews/Pat Gilbert)
ディック・ヘイムス(Dick Haymes/Wayne Frake)
ビビアン・ブレイン(Vivian Blaine/Emilly Eswards)
チャールズ・ウィニンジャー(Charles Winninger/Abel Frake)
フェイ・ベインター(Fay Bainter/Melissa Frake)
ドナルド・ミーク(Donald Meek/Hippenstahl)
フランク・マクヒュー(Frank McHugh/McGee)
パーシー・キルブライド(Percy Kilbride/Dave Filler)
ジェーン・ナイ(Jane Nigh/Eleanor)
スタッフ
製作:ウィリアム・パールバーグ (William Perlberg)
監督:ウォルター・ラング(Walter Lang)
原作:フィリップ・ストロング(Philip Strong)
脚本:オスカー・ハマースタイン2世(Oscar Hammerstein II)、
ソニア・レヴィーン(Sonya Levien)、ポール・グリーン(Paul Green)
音楽:リチャード・ロジャース(Richard Rodgers)
作詞:オスカー・ハマースタイン2世(Oscar Hammerstein II)
音楽監督:アルフレッド・ニューマン(Alfred Newman)、
チャールズ・ヘンダーソン(Charles Henderson)
撮影:レオン・シャムロイ(Leon Shamroy)
Loyd THX Theater