解説&ストーリー
歴史的背景について
ロジャース&ハマースタインのブロードウェイ・ミュージカル『王様と私』並びに映画化は、元をたどればアンナ・レオノウェンスの書いた2冊の本が元になっている。シャムと呼ばれていた現在のタイは、東南アジアのマレー半島付け根に位置し、面積は約50万平方マイルを占め、人口の約1割がタイ湾のすぐ北にある首都のバンコクに住んでいる。
タイ文化の始まりは中国の南部地方の住人が南に移住し、モン民族の人々と混血することで始まり、民族構成は13世紀半ばにはほぼ定まった。中国から入った仏教と、移住のあいだに経由したクメールから受け入れたヒンズー教がシャム人の宗教になり、1350年、シャム人たちはメナム川のはとりに首都のアユタヤを建設した。ここはインド=中国間の交易の要衝であり、また農業に向いた肥沃な土地にも恵まれ、シャム人の王は"命の主"と呼ばれ、最初は首都だけを支配し、その権力はタイ全土には及んでいなかったが、最初の王はラーマ・カマエン、通称ラーマ大王といった。西洋諸国との接触は15世紀に始まり、この頃には隣国ビルマとの、その後300年にわたる戦争も始まっていたが、発端はシャムの王がビルマ王の白い象を送って欲しいという要請を拒絶したことであった。
1516年、ポルトガル人にアユタヤでの交易を認める条約が締結され、この時代首都の人口は100万人だった。1世紀後、同様の通商条約が英国、オランダ、ドイツ、スペイン、日本、フランスとのあいだにも結ばれ、フランス国王ルイ14世はこの地域に領土的野心を抱き、アユタヤから下流にドンブリという都市を築いた。この川向かいにあったのが中国商人の居留都市で、その名はバンコクといった。(「野生のスモモの村」という意味)。
1767年、ビルマ軍がアユタヤを攻略し、国王は処刑され、1万人の住人が殺害された。生存者のなかにタクシン将軍がいたが、将軍は地方領主を組織して軍隊を作り、わずか5人の部下と共にビルマ軍の戦線突破に成功し、ドンブリにたどり着き、そこでレジスタンスの基地を作った。この地でタクシンは34歳にして国王を名乗ったが、彼の部下の1人がトン・デュアンで、軍司令官、シャム語で"チャクリ"に就任し、チャクリ朝の創始者となった。タクシンはやがて発狂し、48歳のとき棍棒で殴り殺され、代わりにチャクリが王座に就き、首都をバンコクに移し、アユタヤ朝の最初の王がラーマ大王であったことから、チャクリはこの称号を受け継ぎラーマ1世として歴史に名を残した。
1782年から1809年まで統治した王の目標は、バンコクを第2のアユタヤとすることで、その最初の事業のひとつが、大王宮の建設、この建物は1マイル四方の広さに及び、外宮には裁判所、大臣の役所や大蔵省、衛兵や砲兵の連隊、馬や象の厩舎、美術工房、学校などが置かれ、内宮は王の私的な住まい、花の庭園、王妃たちや王の子供達の住居、侍女やその他の職務を担う女性たちが配置されていた。宮殿の警護を担当する護衛兵は、伝統として女性だった。シャムの国王は特別な参議官会議で選ばれ、その責務は王座にもっともふさわしい人間を任命すること。現実には王の前でひれ伏すという風習はその人物の家系に関係してということでもまったくなければ、また義務とみなきれていたわけでもなく、むしろ、王と共にいることの栄誉を表現するしぐさであった。王選出の参議官会議の導きでラ−マ1世の子ラーマ2世は1890年に王座につき、引き続きバンコク建築に専念し、彼は38人の妻を持ち、63人の子をもうけ、そのうち38人が男子だった。その一人が皇太子のモンクトであった。
国王ラーマ4世となったモンクトは、シャムの近代化を推し進め、1855年、英国と正式の通商条約を結び、さらにアメリカ合衆国やフランスとも国交を持った。彼の要望に応じてアメリカ人はシャムに印刷機を持ち込み、シャム語のアルファベットで新聞や書籍を出版し、シャムに赴任したカトリックの司教が王にラテン語を教え、アメリカの伝道師たちからは英語を学んだ。王は英語を習得すると、今度はヨーロッパ人の顧問官を雇い始め、そのうちの1人が、子供たちや妻妾にも教育を受けさせたいと願った王の望みで雇われたアンナ・レオノウエンスであった。彼女はシンガポールで学校を成功させており、それが王の関心をひいたのである。
アンナはその5年間にわたる体験を2冊の本にまとめ、彼女の物語がのちにマーガレット・ランドンの手で20世紀の西洋人むけに書き改められ、それが映画に、そしてミュージカル『王様と私』となったのである。残念ながら、タイの政府も人々も総じてアンナの語る物語には否定的で、とりわけミュージカルには反発が強い。
彼らの視点からすれば、この国の歴史が軽薄な娯楽を目的にひどくねじ曲げられたと見え、モンクト王の描き方について、またミュージカルでは王がアンナのやって来る以前から西洋の技術や文化のさまざまな面を導入していたことをきちっと描いていないことには、公式の批判がよせられた。アンナは自分の重要性を過度に強調し、また実際には決して起こったことのない事件をかなり創作したとみなされており、また彼女がモンクト王へ影響を与えたという話はほとんど伝説だとして無視されている。こうした感情はひろく一般にも行き渡り、映画版はこの国では上映禁止になっている。
現実の歴史的展開をなんの創作の自由もなしにミュージカルに仕立てあげることには、明らかに無理があるのは理解されるが、しかし『王様と私』が、アンナの語った物語の基本線を押さえながら、少なくともシャムの文化に何百万もの人々の関心を引き付けたことは確かで、その伝説や創作の側面は、シャムの歴史上の事実ではないとして退けるよりは、その娯楽のうえでの効果をある程度認めるべきもの。実際の史実では、モンクト王はその死の直前までまったくの健康を謳歌しており、アンナ・レオノウエンスがシャムを離れたあと、天文学者が皆既日蝕の正確な日時を算出し、王はシンガポールのフランス公使を招き、自らの宮廷も引き連れて、完全な日蝕を観測できる沼地へと行った。ところがこの沼沢地帯では蚊が大量発生しており、王はマラリアに感染してし、ラーマ4世は1868年に崩御した。
ラーマ4世の息子チュレランハンは父の死後王に任命され、1873年から1910年まで在位し、国王ラーマ5世として彼は奴隷制を廃止し、父の遺業を引き継いで、シャムに近代的な郵便制度を導入、鉄道の建設、さらに行政制度を改革した。その後継者、ラーマ6世(在位期間は1910年から1925年)は伝統的なタイ文化を大幅に復興させ、1925年にラーマ7世が国王に選ばれたあと、絶対王制は廃止された。北ベトナムからの共産主義の影響がラーマ8世(在位1935−1946)の統治を脅かしたあと、アメリカ合衆国が公式にこの国家の支援に乗り出し、ラーマ9世の統治下で、シャムは正式にタイとなり、英国とおなじような立憲君主制を敷いたのである。
製作経緯について
このミュージカル・プレイの原作は、1944年に出版されたマーガレット・ランドンの小説『アンナとシャム王』(Anna And The King Of Siam)を読んでミュージカルにしたらと最初に薦めたのは何とロジャース夫人、ハマーステイン夫人のふたりだったという微笑ましいエピソードがある。その時は、気乗りがせずそのままになってしまい、それから2年後、20世紀フォックスがアイリーン・ダン、レックス・ハリスン、リンダ・ダーネルというキャストによって映画化し評判になった。
その時、映画『アンナとシャム王』を見たブロードウェイの大スター、ガートルード・ローレンスがこの映画に感動し、これをミュージカルにしてアイリーン・タンの扮した主人公アンナを是非ともやってみたいと熱心に働きかけたのであった。ガートルード・ローレンスは1901年ロンドン生まれ、子供の時から舞台に立ちイギリス有数のミュージカル・タレントとして、ノエル・カワードの相手役(『私生活』('30)、その他)で活躍、ブロードウェイ・ミュージカルの主役も幾度かつとめた大スターだが、人を通じてとうとうロジャース、ハマーステインを口説き落とし、『アンナとシャム王』のミュージカルが実現することになった。
ふたりがこのミュージカル化を渋っていたのは、19世紀中葉の王宮、それも東洋の未開国シャムの王宮を舞台としたもので、アメリカ人はひとりも登場しないことや、主人公の間に恋愛感情が起こらないとかいった点からであり、その上ロジャースは本物の東洋音楽をきいたこともないということも理由であった。そこでふたりは執筆に先立ち東南アジアに資料集めの旅行をしたり、実際にはシャム乃至東洋音楽のスケールや楽器を基に作曲されなかったにも拘らず、ハマーステインのすぐれた台本と歌詞、油ののったロジャースの美しくあるいはしゃれた音楽、そしてこの作品に、最初から打ち込んでいたガートルード・ローレンス、更にはシャム王を演じて一躍ブロードウェイの話題をきらった当時新人のユル・プリンナー、という顔ぶれによって、またまたR&Hコンビの傑作が生み出された。
初演は1951年3月29日、ニューヨークのセント・ジェイムズ劇場で開幕し、1954年初夏までは1246回のロング・ラン記録を打ち立てた。絢爛たるジョー・ミールツイナーの装置、アイリーン・シャラフの衣裳も評判となったが、主役のローレンスが開演1年目に病に倒れ、1952年9月6日既にこの世を去り彼女の遺言によってコンスタンス・カーペンターがその役を継いだのであった。もうひとり演出のジョン・ヴァン・ドルーテンも上演中に他界するというふたつの悲劇が起こった。映画での主人公アンナ役はデポラ・カーが起用され、歌はオペラ出身のメゾ・ソプラノ、マーニ・ニクソンによって吹きかえられている。
20世紀フォックスは、1954年に『王様と私』の映画化権を獲得し、シネマスコープ55でのミュージカル大作として製作を開始した。映画化にあたって舞台版から3曲のミュージカル・ナンバーが削られて「Getting to Know You」、「アンクル・トマスの小屋」、「シャル・ウィ・ダンス?」など10曲が使用された。
特筆すべきは「アンクル・トムの小屋」を翻案したシャムの舞踊劇「アンクル・トマスの小屋」のバレエはジュローム・ロビンスの振り付けによるもので、ニューヨークで活躍中の日本人舞踊家ユリコ、イセリ・ミチコ、石井カンナらの助言と協力によって、歌舞伎の踊りの約束事や、所作、小道具(蜘蛛の巣や布の河など)を巧みに生かしたほとんど日本調といっていいバレエである。
この映画はフィルム幅が55mmで撮影され、従来の35mm方式はクローズアップの時に歪(収差)や解像力などの画質の問題があった。開発された55mm方式は、より鮮明な映像が得られている。 製作費に560万ドルを投じ、批評家と観客の両方から絶大な支持を受けて大ヒットを記録した。
1956年アカデミー賞は、主演男優賞(ユル・ブリンナー)、カラー美術(ライル・R・ウィーラー、ジョン・デキューア)・装置(ウォルター・M・スコット、ポール・S・フォックス)、録音賞(カール・フォークナー)、ミュージカル映画音楽賞(アルフレッド・ニューマン、ケン・ダービー)、カラー衣裳デザイン賞(アイリーン・シャラフ)の5部門で受賞した。3度ノミネートされたデボラ・カーは残念ながら受賞出来なかったが1993年にアカデミーより名誉賞が贈られた。
(Twentieth Century Fox 1956 Film Cinemascope55(1*2.55)133 min.)
1862年のある日、東洋の王国シャムの首都バンコク港外にイギリスの大型帆船が入ってくる。はるかに望む金色のパゴダに瞳を輝かす美しい貴婦人と少年は、シャム王室の招聘によってはるばるこの国にやってきたイギリス将校の若い未亡人のアンナ・リオノウェン(デポラ・カー)と息子のルイス(レックス・トムソン)であった。出迎えの使者、半裸のクララホーム宰相のロから、アンナは、手紙で約束された宿舎が用意されていないことをきき、直接王様にお目にかかって掛け合うと強い態度で応える。
アンナは、上陸するとすぐ王様に謁見を申込むが、ふと王宮の廊下で美しいひとりの娘の悲しげな姿を目にとめるが、それが隣国のビルマ王子からシャム王に贈られた奴隷のタブティム(リタ・モレノ)ときいて驚く。ようやく、王様(ユル・プリンナー)に謁見の機会を掴んだアンナは、まず丸ぼうず上半身裸身の国王に驚き、王様もアンナの毅然とした態度にたじろぎながら第一王妃ティアン(テリー・サンダース)を紹介するが、教養もあり英語も話すティアン王妃から王妃が大勢いることをきき、アンナはあきれてしまう。
その夜、悲しげな奴隷女のタブティムにやさしい言葉をかけると、彼女をこの国に連れてきた使者ルン・ター(カルロス・リサァス)こそ相愛の恋人と言うので同情の気持とともに王様への憎しみを感じるのであった。
"We Kiss in a Shadow"
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翌日、王様は大勢いる王子王女たちにアンナを先生として正式に紹介し、次々にアンナの前に進み出て膝まずき合掌の挨拶をしては、引き下がるの可愛らしい表情、それを誇らしげに領いている王様の微笑をみているうちに、アンナの王様への敵意が薄らいでいく。
王様は、アンナがどうやら王子たちを気に入って王宮に留ることを知り内心喜ぶが、欧米の事情や新しい科学の研究にも余念なく、ただそれが真実かどうか、どうして人民にそれを伝えたらいいかとひとり悩むのであったが、いよいよアンナの講義がはじまり、昔の人が、先生だって生徒に教わることがあるっていいましたが、私は皆さんをよく知り、皆さんにも私をよく知って頂こうと思っています・・・、と、自然に言葉から歌になり、王子や王女たちの笑い声にコーラスがなごやかで、楽しい授業が始まる。
勉強熱心な王様は、夜中に書物のことで分からなくなると、アンナを呼んで教えを乞うこともあるが、アメリカの南北戦争でリンカーンが苦戦してるという新開記事をみて象を贈ろうといい出して、リンカーン大統領宛の手紙を書かされたりするが、そんなある夜半、王宮に忍びこんだルン・タ一に会ったアンナは、秘かにタブティムを呼び出してふたりを逢わしてやり、月光のさす庭園の片隅で、タブティムとルン・ターは、これが最後になるかもしれない逢う瀬を過ごすのであった。
アンナは、頑固で独裁的な王様にも愛すべき野人としての一面のあることを次第に理解してきたが、いつまで経っても宿舎の手筈がなく、何よりもわが子をハーレムのような王宮で育てることが居たたまれなく、王様に改めて強く掛け合うが、聞き入れられないのでアンナは帰国する決心をするが、アンナが去ると知る王子たちは悲しみティアン王妃も改めてアンナに滞留を願うのである。
王様は、シャムをヨーロッパの某国が強権によって保護領にしようとしているというシンガポールからの秘密情報をきいて以来、国家の危機、将来に頭を悩ましているが、相談相手もなく当たりちらしているのであったが、アンナはティアン王妃の願いをきいて、王様に詫び、シャムが立派な文明と礼節をもった国であることをヨーロッパの人々に示すことが大切だと進言しる。
負けず嫌いの王様は、自分もそうする積もりだったといいながら、アンナの聡明な進言に内心感謝し、近く到着するイギリス大使を迎える為に各国の駐在名士を招待して大夜会を開くことになった。やがてイギリス大使一行を迎える宮廷大夜会の日、アンナは大使の随員として出席したエドワード・ラムゼイ卿に思いがけない再会をするが、エドワード卿はアンナの夫トムの友人で、彼女がトムと結婚する前からの求愛者であった。
エドワード卿はアンナを踊りに誘うが、遠い異国シャムの人たちの幸福を願い、この国に強い愛着をもつようになっている今のアンナには、エドワードの求婚を無言のうちに受け流すのである。王様はアンナの巧みな誘導で、来賓を丁重にもてなすことができたが、座興として、タブティムが、アンナから贈られた「アンクル・トムの小屋」を翻案したシャムの舞踊劇『アンクル・トマスの小屋』は来賓の喝采を浴び、ナレーターをつとめたタプティムは、踊りが終わって作者の挨拶を求める拍手をよそに姿を消してしまうが、それはかねて示し合わせて車夫に変装したルン・ターの車で王宮を逃れ去った。
夜会の成功をよろこんだ王様は、アンナに、いつも指からはなれることのないヒスイの指輸を贈り、はじめて素直に感謝の言葉を口にする。今はアンナに対して敬服とあるいはそれ以上の感情を抱くようになっていたが、タブティムの脱走のことをきくと不機嫌になる。男は多くの女によって喜びを与えられるようになっているのだ。女は花で、男は蜜蜂のようなものだ・・・。
そういい張る王様にアンナはイギリス人の習慣や考えを説くが、王様の頑固さにカブトを脱いだアンナは、夜会の時に踊りたそうだった王様を誘ってタンスのステップをお教え、王様も嬉しそうワルツのステップを踏み、アンナが歌い、王様も踊り乍らデュエットするが、その時、宰相が入ってきて、タプティムを捕えたことを告げる。アンナが必死になって止めるのもきかず、王様は、タブティムを鞭打とうするので、アンナは「陛下は野蛮人です」とはじめて王様を罵る。
間もなく、タブティムの口から吐かそうとした恋人ルン・ターが死体となって発見される。これを開いたアンナは、今度こそ本当に帰国する決心を固める。数日後、船便を待つアンナは、ティアン王妃の知らせで王様が重い病の床にあることを知り、王宮に駈けつけ、王様と和解するが、言葉にこそ出さないが王様はアンナへの許しと信頼、敬愛をこめて、やすらかに日を閉じたのである。アンナを慕うチエラロンコーン皇太子はじめ王子王女たちの顔を見渡してアンナは、またこの国に留まる快心を取り戻す。"これからは、王の前でも平伏してはならない!"と重臣たちに告げるりりしい皇太子であった。(ライナーノートより一部抜粋)
デボラ・カー(Deborah Kerr)
デボラ・カー(Deborah Kerr、本名:Deborah Jane Kerr-Trimmer)は、1921年9月30日、スコットランドのヘレンズバラ(Helensburgh)の中流家庭に生まれ、幼い頃から演技に惹かれ、15歳の時、父親を亡くしたが、イギリスの演劇学校に入ってバレエ、演技、歌を学んだが、ダンサーになる夢は断念し、演技の勉強に打ち込んだ。やがて、ロンドン北部にある王立公園で、ロンドンに数ある公園の中でも、最も美しいと言われるリージェンツ・パーク(The Regent's Park)で行われる野外のシェークスピア劇に出演し、この野外劇でロバート・アトキンス監督の目に留まった。1939年に映画出演の契約を結び、初出演となったマイケル・パウエル監督の『Contraband』(1940) では、端役として出演したが、シーンはカットされてしまう。だが、その後、製作者のガブリエル・パスカルに紹介され、ジョージ・バーナード・ショー原作の『Major Barbara』(1941)のジェニー・ヒル役に抜擢される。パスカルは、デボラに演技の経験を積ませるためにオックスフォード・プレイハウスの舞台に立たせ、彼女も役作りのため自ら救世軍に入って研鑽を積んだ。その結果、彼女の演技は映画と共に絶賛を博して一躍注目を浴びるようになり、続く『Love on the Dole』(1941)では、始めてサリー役の主役を演じ、その後、1942年に『Penn of Pennsylvania』、『Hatter's Castle』、『A Battle for a Bottle』、The Day Will Dawn』などに出演し、1943年に『老兵は死なず』(The Life and Death of Colonal Blimp)に出演、その演技はハリウッドのメジャースタジオのMGMに注目された。
デボラは24歳の1945年に第二次世界大戦の英雄アンソニー・C・パートリーと結婚し、1947年には、再びパウエルと組んで『黒水仙』(Black Narcissus )に出演して、ヒマラヤの僻地に赴任した尼僧のリーダーを熱演して絶賛され、ニューヨーク批評家協会賞を受賞した。同年、MGMに招かれ、大スターでハリウッド・キングと言われたクラーク・ゲイブルと『The Hucksters』(1947)で共演し、大きな成功を収めた。続く『If Winter Comes』(1947)では、ウォルター・ピジョンと共演、 スペンサー・トレイシーと共演した『Edward My Son』(1949)では、アルコールに溺れる妻を熱演して初のアカデミー主演女優賞にノミネートされた。その後も知的で端麗な美しさと演技力が買われて話題作に起用され、1950年代に入ると『キング・ソロモン』(King Solomons' Mines)(1950)、『クォ・ヴァディス』(Quo Vadis)(1951)、『ジュリアス・シーザー』(Julius Caesar)(1953)などのスペクタクル 史劇に相次いで出演し、ジェームズ・ジョーンズのベストセラー小説の映画化『地上より永遠に』(From Here To Eternity)(1953)では、バート・ランカスターが演じる軍曹と不倫の恋に落ちる人妻役をそれまでのまじめでエレガントなイギリス女性としてのイメージを覆す大役を熱演し、二度目のオスカー・ノミネーションされ、ランカスターと熱い抱擁を交わす浜辺のシーンは映画史に残る名場面となった。
その後、押すに押されぬ大スターとなったデボラのもとには出演依頼が多くなり、1954年にはロバート・アンダーソンの舞台劇『お茶と同情』(Tea and Sympathy)に出演し、その演技は批評家と観客の両方から絶賛され、2年後に製作された映画版でも同じ役で出演した。レオ・マッケリーが1939年に制作した映画『邂逅』(Love Affair)のリメイクである『めぐり逢い』(An Affair to Remember)(1957)では、ケーリー・グラントと共演し、1957年の大ヒット・ミュージカル『王様と私』(The King and I)では、イギリス人教師アンナを熱演して 3度目のオスカーにノミネートされた。
その後、南太平洋の小島を舞台に尼僧とロバート・ミッチャム演じる海兵隊員とを描いた『白い砂』(Heaven Knows, Mr. Allison)(1957)、ホテルに滞在する人々の人間模様を描いた『旅路』(Separate Tables)(1958)、羊飼い一家を描いた『サンダウナーズ』(The Sundowners)(1960)でオスカーにノミネートされたが、いずれも受賞には至らなかった。作品に恵まれた順調なキャリアとは裏腹に、私生活では夫と間の溝が深まり、二子を授かったが1959年に離婚した。翌年の1960年には、『アフリカの女王』(The African Queen)(1951)(uncredited)、『暁前の決断』(Decision Before Dawn)(1951)や『老人と海』(The Old Man and the Sea)(1958)などで知られる脚本家のピーター・ヴァーテルと再婚した。
1960年代に入って『イグアナの夜』(The Night of the Iguana)(1964)や『結婚専科』(Marriage on the Rocks)(1965)などに出演するが、ヒット作品に恵まれず、1969年の空中ショーに賭ける男たちの生き様を描いた『さすらいの大空』(The Gypsy Moths)ではバート・ランカスターと3度目の共演したが、エリア・カザン監督の『アレンジメント<愛の旋律>』(The Arrangement)(1969)を最後に映画界からの引退を表明した。
1971年には、舞台に戻って『The Day After the Fair』に出演し、ヨーロッパとアメリカでの公演を成功させ、以後は舞台を中心に活躍するようになった。1975年の『Seascape』は、批評家受けせずに1ヶ月で終演したが、1977年の『Longs Day Journey Into Night』と『Candida』は大きな成功を収めている。1982年にはアガサ・クリスティ原作のテレビドラマ『検察側の証人』に出演した。1985年には、NHKの『NHK特集ルーブル美術館』のナビゲーターで出演している。その後もテレビ・ドラマ『A Woman Of Substance』(1983)、『Reunion at Fairborough』(1985)、アメリカの人気女流作家バーバラ・テイラー・ブラッド・フォードの同名のベストセラーのドラマ化の『炎のエマ』(Hold the Dream)(1986)などに出演して往年の名演技を披露した。 1995年、アカデミー協会は、6回もノミネートされながら一度も受賞しなかったデボラ・カーに名誉賞を授与し、1998年にはイギリス王室からナイトの称号を与えられた。パーキンソン病を長年患いスイスで暮らしていたが、病状が悪化し家族のいるイギリスのサフォークにて2007年10月16日、86歳で死去した。
デボラ・カー出演作品
Filmography:Deborah Kerr
『-』(Contraband) (1940) Cigarette Girl (scenes deleted)
『-』(Major Barbara) (1941) Jenny Hill
『-』(Love On The Dole) (1941) Sally
『-』(Penn of Pennsylvania)(1942)Gulielma Maria Springett
『-』(Hatter's Castle) (1942)Mary Brodie
『-』(A Battle for a Bottle) (1942)(short) Linda (voice) (uncredited)
『-』(The Day Will Dawn) (1942)Kari Alstad
『老兵は死なず』(The Life and Death of Colonal Blimp) (1943)Edith Hunter/Barbara Wynne/Johnny Cannon
『-』(Perfect Strangers) (1946)Catherine Wilson
『-』(I See a Dark Stranger) (1946)Bridie Quilty
『黒水仙』(Black Narcissus) (1947)Sister Clodagh
『-』(The Hucksters) (1947)Kay Dorrance
『-』(If Winter Comes) (1947)Nona Tybar
『-』(Edward, My Son) (1949)Evelyn Boult
『-』(Please Believe Me) (1950)Alison Kirbe
『キング・ソロモン』(King Solomons' Mines) (1950)Elizabeth Curtis
『クオ・ヴァディス』(Quo Vadis) (1951)Lygia
『ゼンダ城の虜』(The Prisoner of Zenda) (1952)Princess Flavia
『東方の雷鳴』(Thunder In The East) (1952)Joan Willoughby
『悲恋の王女エリザベス』(Young Bess) (1953)Catherine Parr
『ジュリアス・シーザー』(Julius Caesar) (1953)Julius Caesar
『-』(Dream Wife) (1953)Effie
『地上より永遠に』(From Here To Eternity) (1953)Karen Holmes
『情事の終り』(The End of the Affair) (1955)Sarah Miles
『誇りと冒涜』(The Proud and the Profane) (1956)Lee Ashley
『王様と私』(The King and I) (1956)Anna Leonowens
『お茶と同情』(Tea and Sympathy) (1956)Laura Reynolds
『白い砂』(Heaven Knows, Mr. Allison) (1957)Sister Angela
『めぐり逢い』(An Affair to Remember) (1957)Terry McKay
『-』(Kiss Them for Me)(1957)Gwinneth Livingston (voice) (uncredited)
『-』(Bonjour Tristesse) (1958)Anne Larson
『旅路』(Separate Tables)(1958)Sibyl Railton-Bell
『旅』(The Journey) (1959)Diana Ashmore
『-』(Count Your Blessings) (1959)Grace Allingham
『悲愁』(Beloved Infidel) (1959)Sheilah Graham
『サンダウナーズ』(The Sundowners) (1960)Ida Carmody
『芝生は緑』(The Grass Is Greener) (1960)Lady Hilary Rhyall
『六年目の疑惑』(The Naked Edge) (1961)Martha Radcliffe
『回転』(The Innocents) (1961)Miss Giddens
『ドーヴァーの青い花』(The Chalk Garden) (1964)Miss Madrigal
『イグアナの夜』(The Night of the Iguana) (1964)Hannah Jelkes
『結婚専科』(Marriage on the Rocks) (1965)Valerie Edwards
『-』(The Eye of the Devil) (1966)Catherine de Montfaucon
『007/カジノ・ロワイヤル』(Casino Royale) (1967)Agent Mimi / Lady Fiona McTarry
『天使のいたずら』(Prudence and the Pill) (1968)Prudence Hardcastle
『さすらいの大空』(The Gypsy Moths) (1969)Elizabeth Brandon
『アレンジメント<愛の旋律>』(The Arrangement) (1969)Florence Anderson
『キラー・クロコダイル 怒りの逆襲』(Killer Crocodile 2)(1990)Liza
『-』(Witness For The Procution) (1982) (TV)
『-』(A Woman of Substance) (1983)(TV)
『-』(Reunion of Fairborough) (1985)(TV)
『-』(The Assam Garden) (1985)
『-』(Hold The Dream) (1986)(TV)
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ユル・ブリンナー(Yul Brynner)
ユル・ブリンナー(本名:Юлий Бори?сович Бри?нер(ユリイ・ボリーソヴィチ・ブリーネル)は、1920年7月11日、スイス国籍のモンゴル人の父親とルーマニア系のジプシーの母親との間に生まれ、幼い頃に北京に移住して中国大陸で生活を送り10歳の時に一家はフランスに移住した。彼は学校生活になじめずに中退し、ジプシーから音楽の手ほどきを受けて13歳でパリのナイトクラブでギター弾きとなり、ついでサーカス団に入って空中ブランコの曲芸師として活躍する。だが、17歳の時に事故を起こしてサーカスを辞め、俳優を志すようになって、ピトエフ・レパートリー一座で演技を学びながらソルボンヌ大学で哲学を専攻し学士号を取得した。1941年に渡米し、演技コーチ、マイケル・チェーホフの俳優養成所に入って演技を磨き、同年にはシェークスピアの『十二夜』でデビューし、第二次世界大戦中は、国際放送のラジオ・アナウンサー、戦後はCBSテレビのテレビ・シリーズ『Mr. Jones and His Neighbors』に出演し、女優のヴァージニア・ギルモア(Virginia Gilmore)と知り合って1944年に結婚した。
ブロードウェイの舞台『Lute Song』では、メアリー・マーティン(Mary Martin)と共演し注目を集め、1948年には、テレビ初のトーク・ショー『ミスター&ミセス』に出演しながら、テレビ番組の演出も手掛けた。1949年にラズロ・ベネディク監督の『ニューヨーク港』(Port of New York)で映画デビュー(as Paul Vicola)、1950年には、舞台女優メアリー・マーティンの薦めで、ロジャース&ハマースタインがの舞台ミュージカル『王様と私』(The King and I)のオーディションに参加する。彼のオリエンタルな風貌と、ジプシー民謡を歌ったユニークさが買われてシャムの王様役に抜擢され、1951年2月26日に初演されると、ブリンナーの演技は大絶賛を浴び、公演中に衣装デザイナーのアイリーン・シャラフ(Irene Sharaff)の薦めでそり上げた坊主頭はトレード・マークとなり、トニー賞を受賞、1956年に製作された映画版でも当たり役となった王様役を演じて映画をヒットさせ、アカデミー主演男優賞を獲得した。
同年にはセシル・B・デミル監督の遺作となったスペクタクル 史劇『十戒』(The Ten Commandments)でモーゼと対立するエジプト王ファラオを演じ、イングリッド・バーグマンのハリウッド復帰作である『追想』(Anastasia)ではペテン師のボーニンを演じて、主役を引き立てながら強烈な印象を与えた。1959年の『ソロモンとシバの女王』(Solomon and Sheba)では、急死したタイロン・パワーに代わってソロモン王を演じ、1960年には黒澤明監督の『七人の侍』(1954)の西部劇版『荒野の七人』に出演し、自らリメイク権を獲得し、スティーブ・マックィーンやチャールズ・ブロンソンといった若手スターにも引けを取らないアクションを披露し、映画は好評を博し1966年に製作された続編『続・荒野の七人』(Return of the Seven)でも同役を演じ、アクション・スターとしての地位を確立した。1962年のコサック兵の隊長を演じた『隊長ブリーバ』(Taras Bulba)や、メキシコの革命家を演じた『戦うパンチョ・ビラ』(Villa Rides)(1968)などのアドベンチャー映画で派手なアクションとエギゾチックな風貌で魅了し、1973年のマイケル・クライトン監督のSF映画『ウェストワールド』(Westworld)では、アンドロイドのガンマンを演じ、ロボットの無機質な雰囲気を出すために息を止めて演技を行った。1972年のテレビ版『王様と私』では、久しぶりにシャムの王様に扮し、1977年の5月から再びブロードウェイに戻って『王様と私』のリバイバル公演に出演、ブロードウェイのみならずロンドンでも好評を博した。
ブリンナーは、幼少のころに京都に住んでいたことがあるらしく日本にもなじみの深い役者で、その生い立ちにも諸説があり、ソビエト生まれとも言われているが、一説には樺太生まれの日本人とのハーフという説もある。だが、彼の息子の著書には、父親はモンゴル系スイス人、母親はユダヤ系ロシア人でウラジオストクで生まれとある。結婚は4度しており、5人の子供がいる。彼は、ヘビー・スモーカーで、1983年に肺癌の診断を受けるが、癌の悪化で続演が不可能となった1985年の5月まで、1951年の初演以来4621回もの上演で王様役を演じ続けた。余命いくばくもない事を知ったブリンナーは、死の直前に禁煙を訴えるテレビのコマーシャルに出演、CMは「自分が肺癌になったのは喫煙のせい」と告白する内容であり、後に娘も禁煙運動に参加することになった。このコマーシャルは彼の死後に放映されて、全米の人々に喫煙の恐ろしさを訴えた。 1985年10月10日、65歳で他界した。
ユル・ブリンナー出演作品
Filmography:Yul Brynner
『ニューヨーク港』(Port of New York)(1949)Paul Vicola
『王様と私』(The King and I) (1956)King Mongkut of Siam
『十戒』(The Ten Commandments)(1956)Rameses
『追想』(Anastasia)(1956)General Sergei Pavlovich Bounine
『カラマゾフの兄弟』(The Brothers Karamazov)(1957)Dmitri Karamazov
『大海賊』(The Buccaneer)(1958)Jaen Lafitte
『旅』(The Journey)(1958) Major Surov
『悶え』(The Sound and the Fury)(1959 )Jason Compson
『ソロモンとシバの女王』(Solomon and Sheba)(1959)Solomon
『-』(Once More, with Feeling!)(1960)Victor Fabian
『オルフェの遺言−私に何故と問い給うな−』(Le Testament d'Orphee -ou ne me demandez pas pourquoi)(1960)Guard
『』(Surprise Package)(1960)Nico March
『荒野の七人』(The Magnificent Seven)(1960)Chris Larabee Adams
『-』(Goodbye Again)(1961)Extra in nightclub scene (uncredited)
『ザーレンからの脱出』(Escape From Zahrain)(1962)Sharif
『隊長ブーリバ』(Taras Bulba)(1962)Taras Bulba
『太陽の帝王』(Kings of the Sun)(1963)Chief Black Eagle
『あしやからの飛行』( Flight from Ashiya)(1964)TSgt. Mike Takashima
『ガンファイトへの招待』(Invitation to a Gunfighter)(1964)Jules Gaspard d'Estaing
『南太平洋爆破作戦モリツリ』(Morituri)(1965)Captain Mueller
『巨大なる戦場』(Cast a Giant Shadow)(1966)Asher Gonen
『悪のシンフォニー』(The Poppy Is Also a Flower)(1966)Colonel Salem
『続・荒野の七人』(Return of the Seven)(1966)Chris
『トリプルクロス』(Triple Cross)(1966) Baron von Crunen
『ダブルマン』(The Double Man)(1967)Dan Slater & Kalmar
『長い長い決闘』(The Long Duel)(1968)Sultan
『戦うパンチョ・ビラ』(Villa Rides)(1968)Villa
『黄金線上の男』(The File of the Golden Goose)(1969)Peter Novak
『ネレトバの戦い』(Bitka na Neretvi)(1969)Vlado
『マジック・クリスチャン』(The Magic Christian)(1969)Transvestite Cabaret Singer (uncredited)
『-』(Indio Black, sai che ti dico: Sei un gran figlio di...)(1971)Sabata / Indio Black
『-』(The Light at the Edge of the World)(1971)Jonathan Kongre
『-』(Romansa konjokradice)(1971)Captain Stoloff
『マーベリックの黄金』(Catlow)(1971)Catlow
『複数犯罪』(Fuzz)(1972)The Deaf Mam
『大西部無頼列伝』(Indio Black)(1971)Indio Black
『エスピオナージ』(Le Serpent)(1973)Col. Alexei Vlassov
『ウエストワールド』(Westworld)(1973)Gunslinger
『SF最後の巨人』(The Ultimate Warrior)(1975)Carson
『未来世界』(Future World)(1976)The Gunslinger
『-』(Con la rabbia agli occhi)(1976)Peter Marciani
『-』(Lost to the Revolution)(short) (1980)Narrator (voice)
"Yul Brynner" Website
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There is a nickname with "Voice in Hollywood"
マーニ・ニクソン(Marni Nixon)
イギリス・スコットランド出身でエレガントさで知られニックネームは“イギリスの薔薇”と言われたデボラ・カーがアンナを演じた『王様と私』(The King and I)、『ウエスト・サイド物語』(West Side story)では、シャーリー・テンプルの次の世代の人気子役として、1947年の『三十四丁目の奇蹟』(Miracle on 34th Street)で人気スターとなったナタリー・ウッドのマリア、それに『マイ・フェア・レディ』(My Fair Lady)でイライザを演じた『ローマの休日』(Roman Holiday)(1953)ではアカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞し、妖精ともいわれ夢と希望を与え続けたオードリー・ヘプバーンが出演したミュージカル映画などでは、大女優ともなると、さすがに歌も巧いものだと感心して鑑賞された方々も多いのではないかと思われる。
併しながら映画の魔術というべき主演女優の歌唱部分の吹き替えがマーニ・ニクソンによって行われていたのである。だが、その歌声はハリウッドで最も知られたものでありながら、彼女自身の名前すらもがクレジットに書き込まれることがなかった。併し、『サウンド・オブ・ミュージック』(The Sound of Music)(1965) では、尼僧役の一人にキャステイングされて、その歌声を本人の姿とともに披露することになったが、彼女のハズは、吹き替えばかりでなく映画に出させてもらえ!と言ったとかのエピソードもあるようである。
そんな天性に恵まれたラヴリー・ソプラノの持ち主マーニ・ニクソンは、1930年2月22日、カルフォニア州アルタデナに生まれ、子供の頃にはロジャー・ワグナー合唱隊のソリストを務めていたが、その後、彼女はオペラ歌手としてトレーニングを受けたが、軽快な曲にも精通しアーノルド・ショーンバーグやイゴール・ストラビンスキーの歌曲を歌っただけでなく、ポピュラー音楽も歌っていた。
『マイ・フェア・レディ』のブロードウェイ舞台(1956年3月15日開幕、ニューヨーク・マーク・ヘリンジャー劇場、2717回)ではジューリー・アンドリュース(Julie Andrews)が、オリジナル・キャストとしてそのスタイルを確立したが、映画化にあたって、ワーナー・ブラザーズのプロデューサー、ジャック・L・ワーナーはハリウッドでは無名のジューリー・アンドリュースの主役に懸念を抱き、当時、人気抜群のオードリー・ヘプバーンを主役に抜擢したためにイライザ役の歌曲はマーニ・ニクソンが吹き替えることになった。このようなことからも、彼女はハリウッド・ミュージカル映画で歌唱を本業としない大女優に代わって歌の部分を吹き替えしたことから、「ハリウッドの声」との異名がある。
映画音楽の作曲家で純アメリカ的であるアレックス・ノースやエルマー・バーンステイン、同郷のオーストリア出身のマックス・スタイナーなどのクラシカルな作風で独特のタッチで正統派劇音楽を多数作曲した「渚にて」 (1959)や「栄光への脱出」(1960)などで知られるアーネスト・ゴールド(Ernest Gold)は、3度結婚し、2度目の結婚はマーニ・ニクソンとであった。(1950年から1969年)。その後、彼は1975年から他界する1999年まで、ケラー・ゴールドと結婚していた。

Read more "Marni Nixon Biography"
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『内気な独身男』(The Bashful Bachelor)(1942)(Jack Votion Productions)にAngela役でデビュー。
『大都市』(Big City)(1948)(MGM)では、歌っている。
『秘密の花園』(The Secret Garden)(1949年)(MGM)では、マーガレット・オブライエンの歌の吹き替えた。
『シンデレラ』(Cinderella)(1950)(Walt Disney Productions)では、メイン・タイトルのソリストを務めた。
『不思議な国のアリス』(Alice in Wonderland)(1951)(Walt Disney Productions)では"Singing Flowers"の声を担当した。
『紳士は金髪がお好き』(Gentlemen Prefer Blondes)(1953)(Twentieth Century Fox)では、ローレライ役のマリリン・モンローが歌う「ダイアが一番」 (Diamonds Are a Girl’s Best Friend)の中で、高音域のみを吹き替えた。
『王様と私』(The King and I)(1955)(Twentieth Century Fox)でアンナ役のデボラ・カーが歌う全曲の吹き替えた。
『めぐり逢い』(An Affair to Remember)(1957)(Twentieth Century Fox)でテリー・マッケイ役のデボラ・カーが歌う全曲の吹き替えた。
『ウエスト・サイド物語』(West side story)(1961)でのマリア役のナタリー・ウッドが歌う全曲を吹き替えた。
『メリー・ポピンズ』(Mary Poppins)(1964)(Walt Disney Productions)で、「楽しい休日」(Jolly Holiday)の中でガチョウの歌声を担当した。
『マイ・フェア・レディ』(My Fair Lady)(1964)イライザ・ドウリトル役のオードリー・ヘプバーンが歌う全曲を吹き替えた。
『サウンド・オウ・ミュージック』(The Sound of Music)(1965)では、尼僧ソフィアを演じた。
『ボナンザ』(Bonanza)(1965) (TV series) Angela Bergstrom
『ジャックと豆の木』(Jack and the Beanstalk)(1967) (TV movie) Princess Serena (singing voice)
『ブーメラン』(Boomerang)(1980) (TV series) Marni
『人生はこれからだ』(Taking My Turn)(1984) (TV movie)
『アイ・シンク・アイ・ドゥ・アント・アリス』(I Think I Do Aunt Alice)(1997)
『ムランおばあさん』(Mulan Grandmother Fa)(1998) (singing voice)
『性犯罪特捜班』 (Law & Order)(2001): Sei henzai sosa han (TV series)
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Songs
「口笛ふいて」(I Whistle a Happy Tune)Performed by Marni Nixon (dubbing Deborah Kerr) and Rex Thompson
「シャムの子供達の行進」(March of the Siamese Children)Performed by the 20th Century-Fox Orchestra
「ハロー・ヤング・ラヴァー」(Hello,Young Lovers)Performed by Marni Nixon (dubbing Deborah Kerr)
「パズルメント」(A Puzzlement)Sung by Yul Brynner
「ゲティング・トゥ・ノー・ユー」(Getting to Know You)Sung by Marni Nixon (dubbing Deborah Kerr), and chorus, and partially spoken by Deborah Kerr
「木陰のくちづけ」(We Kiss in a Shadow)Sung by Reuben Fuentes (dubbing Carlos Rivas) and Leona Gordon (dubbing Rita Moreno)
「サムシング・ワンダーフル」(Something Wonderful)Sung by Terry Saunders
「ザ・スモール・ハウス・オブ・アンクル・トム」(The Small House of Uncle Thomas)Narrated by Rita Moreno, sung and danced by chorus and dancers
「王様の歌」(Song of the King)Sung by Yul Brynner
「シャル・ウィー・ダンス」(Shall We Dance)Sung by Marni Nixon (dubbing Deborah Kerr) and Yul Brynner Danced by Deborah Kerr and Yul Brynner
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キャスト Cast (役名)
デボラ・カー(Deborah Kerr/Anna Leonowens)
ユル・ブリンナー(Yul Brynner/The King)
リタ・モレノ(Rita Moreno/Tuptim)
マーティン・ベンソン(Martin Benson/Kralahome)
テリー・サンダース(Terry Saunders/Lady Thaing)
レックス・トンプソン(Rex Thompson/Louis Leonowens)
カルロス・リヴァス(Carlos Rivas/Lum Tha)
パトリック・アディアート(Patrick Adiarte/Prinse Chulalongkorn)
アラン・モウブレイ(Alan Mowbray/British Ambassador)
ジェフリー・トゥーン(Geoffrey Toone/Ramsay)
ユリコ(Yuriko/Eliza)
ミチコ・イセリ(Michiko Iseri/Angel in Ballet)
スタッフ Staff
監督:ウォルター・ラング (Walter Lang)
製作:チャールズ・ブラケット(Charles Brackett)
原作:マーガレット・ランドン( Margaret Landon)
脚本:アーネスト・リーマン(Ernest Lehman)
作曲:リチャード・ロジャース(Richard Rodgers)
作詞:オスカー・ハマースタイン2世(Oscar Hammerstein II)
音楽監督:アルフレッド・ニューマン(Alfred Newman)
振付:ジェローム・ロビンス(Jerome Robins)
撮影:レオン・シャムロイ(Leon Shamroy)
衣裳デザイン:アイリーン・シャラフ(Irene Sharaff)
Loyd THX Theater